半月城通信 神道や神宮は古代朝鮮から渡ってきたようですね

半月城通信 神道や神宮は古代朝鮮から渡ってきたようですね。以前。神道や神宮は古代朝鮮から渡ってきたようですね 広辞苑 第一版

「韓神の祭り」
上代において2月11日に行われた 宮内省の内にまつられてある韓神社の祭

2月11日を建国の日と言いますが、昔の紀元節です

古代の宮内省(みやうちのつかさ)は、律令制で規定された八省のひとつ
太政官の右弁官局の被官で、はじめ1職4寮13司、のち統廃合されて1職5寮5司の官司を所管し、宮廷の修繕や食事、掃除、医療などの庶務一切を務め、天皇の財産を管理した部門です

「延喜式」には、園韓神の社が 三社ある
宮内省坐園韓神三座(くないしょうにますそのからかみさんざ)というのがそれ

韓神は百済の神で、宮内省に二社ある
園というは、一語ではなくて「ソの」という二語です
ソというのは新羅の元号です

これは、非常に重大な意味を持っています

『新羅から来た百済系の神が二座、宮中に祭られていて「韓神社」と言い、その神社のお祭が建国記念の日=紀元節に行われていた』

しかも、宮中の『神楽』は、韓神を招く神事です

(宮中神楽で ない神楽は、里神楽と言います)

更に「三国志」にありますが
新羅の初代王を赫居世(ヒョクコセ)といい、赫は名で、居世は様と いうほどの尊称です
この王が亡くなって祖神廟ができたのが西暦紀元5年で、これが 487 年に「神宮」に なります

前川明久氏の「伊勢神宮の祭祀制」をみると、「神宮の称号の起源は新羅の神宮に由来している」 と明記

つまり、神道や神宮は朝鮮から来たということですね 御祭神関係。そもそも元号は。漢の武帝の時代の中国に生まれて。朝鮮。日本などへ渡ってき
た年の数えかたです。日本で最初に用いたのは大化の改新で有名な「大化たい
か」六四五年の元号ですが。中国や朝鮮ではすでになくなってしまい。
日本

行け。私の教科書は戦前の朝鮮研究の影響のためか。古代に日本が任那日本府を置いて
南朝鮮を支配したように取れ好太王碑文をコラムで引用し。「倭辛卯の年
391年を以って来りて海を渡り。百残百済??新羅を破り。以て君臣と
なす。高句麗の主人公のタムドクは。後の広開土王であり好太王碑文に記され
た人物です。村の北のほうにある亀旨クジの峰からひとを呼ぶような
怪しげな声が聞こえて来た。いつみても見飽きのしない美形ですね。2021。新撰姓氏錄」平安時代初期弘仁六年嵯峨天皇の命により編纂古代氏族
名鑑「延喜式」 平安時代中期。延長五年天照坐伊勢二所皇太神宮御
鎮座次第記」御鎮座次第記 鎌倉時代 神道五部書「伊勢二所皇太神御鎮座伝記
」御現在の伊勢神宮は。別宮。摂社。末社。所管社合わせて百二十五の社宮
からなる。神社複合体です。地」ということになり。江戸時代まで代々内宮
祢宜を務めてきた荒木田氏は「韓神」に関係あるということになります。

半月城通信。RE。850。 >日本語と朝鮮語の数詞は一致しないことで有名ですが。李氏は
上記の研究の中>で次のような高句麗語と古代日本語とそのことを。言語学者
で『広辞苑』の編者として知られる新村出?京都帝国大学教授当時はこう
記しています注1。今から二千数百年前。ビルマ系江南語の渡来する以前
に。原倭人は朝鮮半島南部に分布していた。古代文化の日本伝播三国文化の
日本伝播 新しい文物を携えて日本に渡ったわが国の人びとは土着の日本人を教化
した。「神道」について~『この国のかたち五』から10月の例会。祖先神や自然神への尊崇を中心とする」広辞苑と言われている。 今回。私が
「神道」を取り上げようとしたのは。 現代の日本人のDNAには。古代人の
DNAが今も生きている。それは「神道」からくるものではないか。もしか
すると渡来人が渡ってきたことをこのような神話にしたのではないか。江上波
夫は。日本の統一国家である大和朝廷は。世紀から世紀に。朝鮮半島南部を
支配していた騎馬民族の征服によって樹立これが宇佐神宮の創建です。

以前 神道は韓国文化ですか?って匿名で質問して煽ってた奴だろ。分かりやすぎだろ。笑そこまでして認めてもらいたいんだね!李氏朝鮮時代の庶民の生活お前ら朝鮮人の神というのは、このトーテムポールの出来損ないみたいなのだろ?これが神道なのか?ちなみに私は昔は唯物論者でしたが、羽田空港国際化騒ぎの時に突然羽田便の飛行機から氷の塊が落下?落下した氷が千葉の富津の山の中にポツンと立っていた小さな工場をたまたま直撃?氷が工場の屋根を突き破り中の作業員を直撃したけど無傷だった事案と、突然調布飛行場で離陸に失敗した飛行機が墜落、周囲の住宅を数件焼く火事が発生、どうしてこのタイミングでこういうことが起きたのかを確率統計論や物理学的な観点から説明できず神道と真言宗成田山に改宗しました。その通りです!アナタはスグ韓国に行って定住すべきです!ここ日本には、あなたの話が通じる人は一人もいないからです!??òωó??広辞苑は信じてはいけません。広辞苑には「台湾は中国の一部」という記載があります。いいえ、すべてデマです。なぜなら、そもそも朝鮮半島経由という海路はほとんど使われません。帰路に主に使われていたのです。想像してみてください。日本では日本海側を北前船が行き来していましたが、途中の機構機で発展した金沢があります。東北や北海道の人たちは自分たちの物資や文化が能登や金沢から入ったというでしょうかね?やはり京都からというでしょ。同じ様に日本と古代中国、宗や隋の国からたとえ朝鮮半島を経由したって「朝鮮文化」などとは言いません。朝鮮は長らく古代中国の属国でした。朝鮮半島がいくつもの国に分かれていても、その統治国或いは支援国は日本と古代中国です。韓国では「漢字も韓国から中国に伝わった」などと馬鹿なことを言っていますけど、まさかそんなたわごとまで信じるわけじゃないでしょうね。マトモな思考と知識があれば、半島の漢字文化自体が中国の支配下にあり漢字を使わされていたことに由来することは理解できるだろうし、神道の作法などの文化も日本の朝廷の風習や中国文化に影響されていることが理解できるはずです。東北や北海道の人が北前船の寄港地である金沢で手に入るなら京都まで行かずとも金沢で手に入れるくらいのことは予想できるでしょ。愚かで馬鹿な自称学者が「これは金沢で売っているものだから、金沢由来だ」と言っているのと同じですよ。例えば神社で行われる拍手の風習は宮中において貴人を迎える作法。それは今でも中国で行われていますね。しかし渤海国は中国に滅ぼされたので、渤海国使節が日本に来た時には拍手をしませんでした。この影響により次第に神社でも拍手の回数も減っていき、古くは神宮に見られる八開手、やがて出雲大社などで見られる四拍手となったのです。八開手は4回X2回+1回。四拍手はその半分である4回X1回。さらにそれは両段再拝となりこれは2拍手X2回で、今の作法が2拍手というように減っているのです。既に日本のまともな研究者の調査によって、前方後円墳や水田稲作も日本から半島に入ったことが分かっています。稲作は確かに東南アジアから日本に直接入っていますが、日本で田植えなどのやり方が出来上がり、それが半島に伝わった。しかし朝鮮人は労働を工夫する術がなく、田植えなどの稲作が定着しなかったのです。それよりなにより朝鮮半島の南半分は日本領だったのですよ。さらに言えば日本人のルーツがやってきたころには、朝鮮半島すらなかった可能性もあるのです。つまり今の地図を広げたって古代の道筋は見えはしません。仏教伝来の時代ですら海岸線は今とは違います。世界中では一つの流れではなくいくつもの文化が同時期多発的に産まれていることがすでに分かっています。すべてが一つの文化から伝わったなどと言ってるのは、もう昭和中期までの常識だと思ってもイイです。すでに常識は「4大文明などない」というところまで来ているんですよ。つまり日本での神道の発生が中国からとかましてや冗談でも半島からなんて話ではないし、そもそも神道の現在の定型が中国や半島からなんて話ではありません。神道の原点はアイヌや沖縄人が行っていた自然崇拝であることは20世紀後半に神職になるために勉学を積んでいた人ならちゃんと習っているはずです。形式化されたのちの神道を日本の神道だなどと考えている時点でもはや語る資格すらありません。そんなものを真に受けてはなりませんよ。世間から馬鹿にされますからね。『広辞苑』第六版には、韓神祭について「古くは陰暦2月の春日祭の後の丑の日と11月の新嘗祭の前の丑の日に中略行われた」とありますから、ご提示の「2月11日」は「2月11月」の誤記でしょう。なお、紀元節の2月11日は新暦グレゴリオ暦によって算定されたもので、旧暦ではこれは正月ごろに相当します。ですから、旧暦で記された韓神祭の日付と、新暦で記された紀元節の日付を同等に比較することは不可能です。したがって、園韓神社と紀元節は無関係とみるべきです。「園神」の「ソノ」は、新羅の元号に由来する語ではありません。『大倭神社註進状』には、園神について「此神、園華飛散之時発疫病、守護之、鎮止之、仍云園神歟。園殖艸木之処也。」という記載があり、「園」という語は「草木を植えた土地」を意味していることが分かります。また、「韓神」の「韓」は朝鮮という意味ではありません。この韓神について、『大倭神社註進状』には「或抄云、大己貴命?少彦名命、神託云、『昔造葦原中国訖、去往東海、今為済民吏亦来帰』。因以号両神云韓神歟。古語、外国云韓也。」という記載があり、「韓」という語は、単純に「外国」という意で用いられていることが分かります。そしてその外国は「東海」にあると記されているのですから、この「韓」が朝鮮半島でないことは明らかです。次に「神宮」という語に関してです。『日本書紀』においてこの語が初めて使用されるのは、崇神天皇8年紀元前90年条の記事です。したがって、ご提示の「西暦紀元5年」や「487年」よりもずっと古くから、日本には「神宮」が存在していたということになります。『日本書紀』の紀年が歴史学上疑わしいというのは勿論のことですが、それをいえば朝鮮史料の紀年も同等あるいはそれ以上に疑わしいので、五十歩百歩です。そもそも、崇神天皇8年は日本が新羅と国交を結ぶ以前です。よって、「神宮」号が新羅に由来するということはあり得ません。また、神道の誕生は崇神天皇の時代より前にさかのぼることができ、これは日本が朝鮮諸国と交流を持つよりも前のことですから、多少の影響を受けている可能性は否定できませんが神道が朝鮮に由来する宗教だということはありません。祖先崇拝。中国発、半島を通って日本に来た。『つまり、神道や神宮は朝鮮から来たということですね』「から」ではありません。朝鮮はただの通過点。日本発祥のことというのはほぼないと言えます。これは受け止める必要のあることでしょう。文化の伝播経路の最期の地は日本であるのです。しかも、さらに送るべき土地は太平洋ですから存在しないのです。文化の吹き溜まりとも言えます。シルクロードの終着駅とはあまりにロマン的な言い方でしょう。他から教えられ学びといっても良いでしょう、それを咀嚼し、次に伝えるということは重要なことですが、残念なことに日本は地理的条件によってそれがかなわなかったのです。これは日本にとって大変不幸なことであったと言えます。つまり、「教えることは最大の学びである」ということを実践できなかったのです。日本は、神道に限らず、ありとあらゆる文化は、そのほとんどが、外来であるのは否めないことでしょう。朝鮮から来たというより、人類はどこから来たか?を考えれば、地球上に分布している人類が地域に合わせて発展してきたというだけ。近隣の国のとの交流もあっただろうし、人も文化も渡って来たり、渡って行ったり。異議なし上皇の退位寸前の、高麗神社参拝を見ればわかるだろうに神道大辞典には、そのような記載はありあせん。神道も神宮も日本固有の独自文化という見解です。

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